誰に向けて


最近読んだネットの記事で、取り上げている本の内容を「想定読者がハッキリしていて良い」と紹介していたんだけど、エッセイストとか、少なくとも支持されて職業にできてる人は、読者を想定してるのかどうなのか気になった。

小説は、物語を紡いでいる訳だから、“想定読者”は考えない気もするけど、どうなんだろう。ただ単に私の頭が悪いからそう思うだけなのか。文体を〇歳向け、とかにはするだろうけど。

ん?それこそが「読者を想定する」という事なのか?

もしそうだとしたら、エッセイもそうした方が読んで貰えるのか?

私は、共感してほしくて書いている。自分の考えを綴ったり、自分が面白いと思う文体にして、「わかるわかる」と思って貰いたいのだ。

このブログを始めた当初は、“自分のページがある、自分の文が載っている”のが嬉しかったけど、たぶん、いや絶対欲が出てきた。

スタイルが一貫しているからプロになれるのかな?もしそうなら、“想定読者”を定めてそこに向けた文が書ける人、更にその層に届けられてる人って凄い。“想定外の読者”に届くのも素敵だけど。ただそこから波及効果を生むには、前提として、“想定読者”に届いている、てのがある気もするが。私の脳みそじゃ分析しきれない。だんだん分からなくなってきた(O_O)

結論は、人に興味を持ってもらうのは難しいな、てことです。(逃)



技術より感性


デニスの事があって、気がついたのだけど、どうやら私は、フィギュアスケート自体が好きなのではなく、“フィギュアという手段を使って表現している人”の中で、自分好みの人を観ているだけらしい。他の事柄でもそうだ。例えば音楽だって、とあるアーティストのファンだが、その人達の括りがたまたま“ロック”なだけで、彼ら以外のロックは全く聴かない。他の好きなアーティストも、本人自身が好きなのだ。

…なんか書いてて、例えがズレている気もしてきたが、、、まーいーや。

“表現”て本人が出るから、そこを観ているのだと思う。だから、嫌いな選手もいるし、興味のない選手もいる。テレビは録画して、飛ばしながら見ていますよ、ええ。

自分がこんな面倒くさい性格じゃなければ、競技自体のマニアになれたんだろうけど。すんごい格好つけた言い方になって恥ずかしいけど、“感性”を見ている気もする。もちろん、トップ選手の技術はすごいと思うけど。

そもそも気付かされたキッカケは、とあるフィギュアコミュニティの管理人さんが、かなり強い表現で、“特定の選手のアンチ”を拒否していたから。推測だけど、“悪意で荒らされる”事を予防しているだけに感じたので、私も荒らす気はないし、気にしなければいいんだろうけど、でも、嫌いな選手がいる以上、参加は無理だな、と思った。

わざわざ「この人キライなんで」なんて大人気ないことを言おうとは微塵も思わないし、そういう人自体どうかと思っているし、表に出さなきゃいいワケだから、好きな選手の話題だけに参加すればいいんだろうけど、後ろめたさを拭えない、、。小心者なんで…。




歯医者って面白い


先日、人生初の抜歯をした。

歯医者に行ったのは、たぶん十数年ぶり。抜歯には興味があったので、なんだか色んな意味でいい経験になった(この後また、お世話になりそうだが)。

姉には「初めての歯科処置が抜歯って…」と同情された。確かにちょっと面白い(?)

今まで、かかろうと思わなかったくらいトラブルはなく、今回も、歯の全体の状況を見てもらったけど、抜いた歯に隣接していた歯が、少し虫歯になりかけていたくらい。あと歯周病も少しあったか。

一番早く抜いた方がいい、つまり一番手強いヤツから抜いたのだけど、それもあるのか、初抜歯とゆうのもあったからか、あまりの痛さに悶絶した。麻酔が切れた後の、ジワジワと襲ってくるあの痛み。「あーー、ヤバイかもーーー」と、麻酔が効いていた天国から地獄に突き落とされた。抜いた事を後悔するレベル。そりゃあれだけガリガリやればね、そうなるわな。

どうせその数日後、痛みが落ち着いて安堵するのだから、ゲンキンなものだ。歯医者さんごめんなさい、そしてありがとう。

歯科処置って面白いなと思ったのは、私の返り血を浴びている先生を見たとき。外科手術じゃあんまりない事だろうから、なんか新鮮??に感じた、と同時にすごく申し訳なく思った。ごめんなさい、そしてありがとう。

処置後の経過観察も面白い。どうやって閉じていくのかな、と見ていくと、舌側の壁が頰に向かってジワジワと塞がっていく。人間の治癒能力って素晴らしい。これも健康が故だろうか。感謝だ。

まだ途中だけど、順調に塞がってくれそう。でも、後2本抜かなきゃいけないっぽいので、それらは今回ほど大変じゃないと言っていたけど、、、油断大敵だな。



走るアイスクリームショップ

今週のお題「チョコミント


幼い頃から20代後半まで住んでいた団地に、移動式のアイスクリーム屋さんが来ていた。週に1、2回だったと思う。我が家は1ヶ月に1回程度、夕飯後のデザートの楽しみだった。

数種類ある中で、チョコミント味が一番好きで、たまに新作や、気分転換に別の味を頼んでも、その度にほぼ毎回「次はまたチョコミント食べたい!」と思った。てか誓った。

そこのチョコミントはチョコが粒状で、カリカリとした食感を楽しめるのも、爽やかな薄青緑色?もお気に入りだった。

だから、巷で売られているチョコミントの多くが、パリパリした、削ったタイプのチョコなのに驚いたし(モノによってはアイスと同化して、チョコの食感がしないものも)、バニラアイスの色をしているけど味はミント、てのを発見して、私の中の常識の色は着色料だったのか…と思い知らされたり(調べてないけど)。

アイスクリームショップで買う事はあまりないけれど、買うときには、チョコミントと他の味で迷うほど“当たり前のもの”だったので、数年前から「夏にチョコミントいいじゃーん」とか言われ始め、私が気に留めなかっただけかもしれないが、アイス以外のスイーツにも見かける様になり、「え?今更……?」とかなり上から目線な感想を持つほど驚いた。

浸透しなかった理由に「歯磨き粉の味だから苦手意識がある」とあるのを見て、確かに、言われてみればそうだけど、今まで全く考えもしなかったので、いつも感じる世間とのズレを、より一層深くしたものだ。

偏見かもしれないが、色付きの方がミントの味が好みな気がして、◯ーゲン◯ッツからも出てはいるけど、あまり買わない。ふふ、添加物に侵されているぜ。

そして、単に探し足りてないだけかもしれないが、チョコが粒状のモノに冒頭のお店以外で出会った事がない。無意識にいつの間にか諦めていたらしく、今では削ったタイプのモノを普通に買っているけれど、“お題”で久しぶりに思い出してこれを書いて、懐かしくなった。探してみよかな。ライフワークにするか?

粒状チョコの入った◯ントリー◯ームからもチョコミント味が出ているが、アイスが食べたい。

そんなわけで、あの“走るアイスクリームショップ”で初めて出会ってから、そうゆうお店が珍しかったとゆう事も手伝ってか、私にとっての“チョコミント”は“チョコミントアイスクリーム”なのである。思えば何か特別な存在な気がする。あんまり特別と思う対象が無いので自分でも意外で新鮮だった。

余談だがミント繋がりで、どっかのチェーン店のファミレスに置いてたハーブティーに、砂糖を入れて飲むのに姉と私でハマった事があった。ストレートではなく砂糖を入れるのが、良かった。これも、探してみようかな。




展覧会に行きました


企画展「装飾は流転する」を鑑賞してきた。

家に帰ってパンフを見るまで、「装飾」がテーマな事をすっかり忘れていた。それくらい私は「装飾とはなんぞや」とは微塵も考えさせられなかった。個々の作品は良かったので、グループ展的に鑑賞してしまった。

個人的には、世界の少数民族とかの衣装や生活用品、家などを紹介して貰った方が「装飾」を考えられる。てかテーマになってなくても勝手に考えちゃうから(笑)、ちょっと違うか。

何度も言うが、単純に“作品発表の場”的に楽しんでしまったので、「装飾」がテーマとなって作品が集められているから、それを思うと、私はどう感じたらいいのだろうか。

あまり深く考えなくてもいいかな、とも思うけど。作品達はよかったし。

ひとつだけ、山縣さんの「flowers Ⅱ」の緻密でステキな刺繍を、ガラス越しでしか見れなかったのは残念だった。可愛かったなぁ。




報われるとか報われないとか


昨年末、ひっさしぶりに、映画館で映画を観た。

投稿遅っ。


ゴッホ 〜最期の手紙〜」


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こうゆうタイプのアニメーションは初めて観たけど、期待通り、圧巻の美しさだった。映画館で観て本当によかった。

もっと沢山の作品を見たい。労力半端ないだろうから、製作費も大変な事になるだろうけど。でも是非、また良質な作品が製作されたらいいと思う。


余談だが、私は「映画は映画館で!」てタイプではなく、別にDVD でもよくね?派なので、大体は、映画館で体感したいと思う作品を観に行っている。よって、映画館で鑑賞した作品はかなり少ない。にしじまひでとしに怒られちゃう💨

宇多田の主題歌を、映画館のあの雰囲気で味わいたい、とゆう理由で「エヴァ」を観に行ったこともある。素晴らしかったなぁ、、エンディングは。

エヴァ」自体は、世界観はそこそこ好きだが、アニメは全話見たけど映画はアニメ完結編(?だっけか?)まで、とゆう程度である。


話を戻すと。

「運命の歯車が狂う」とゆう言い方があるが、そのようなものがあってそれが少しでもズレていたなら、彼はもっと生きたのではないか、と思った。

もし、病弱な弟さんが先立ったとしたら、残された家族へ援助もできたんじゃないか、と思うし、そうゆうカタチで弟に恩返しもできたのではないか、と。

映画での描かれ方は、ただ単に鬱で変わった人だったことで誤解を生んでいた、て感じだったし、いや、実際のところは分からないけれど、でもなんか、こんなに苦しんで、こんな最後で、弟さんに関しても、報われなさが切なかった。

それに、ゴッホが書いた手紙の内容から、彼が熱くて優しい人に描かれていたし、あんなに苦しんで生きて、せめて最後だけでも、「あぁ良かった」と感じられてたらなぁ、、、と思ってしまった。それはちょっと厳しそうだけど…。


なんか鑑賞後つらつらと、現在報われない人、報われずに生涯を終えた人に想いを馳せた。

真剣に仕事を探してるのに見つからない人。それにより最悪の結末を迎えた人。

功績を認めて貰えない人。

日々の家事など、やるのが当然と思われて、時々虚しくなる人。

挙げたらキリがないが、色んな状況の人がいる。そして、いた。

こうした事は、人の気持ちを考えない、人に関心がない人達がいるから起こると思う。どうにかしたいけど勇気もなく、見ないふりをしている人もいるだろう。私もどうにかできる程の根性はない。

ただ私は出来た人間ではないが、意図的に誰かや何かをイジメてやろう、とかは微塵も思わないし、寧ろそうゆう事をする人に憤りさえ感じる。まぁ、分類されると「ハイパーナイーブ」のグループに入れられるレベルだろうから、しょうがないけど(自分で言うな)。

人がソレをされるとどんな気持ちになるか分からない人や、分かってて優越感のためにやる人、後ろめたいけど止められない人、色々いると思うけど、そもそも“自分がされたら嫌”な事を、人にもしてしまうのは、どうなのかなあ、、と思う。

自分がされても平気なタフな人もいれば、対象が自分になると腹が立つ人もいるし、中身(性格)の違いではあるんだけど。て当たり前か、、。

あちらこちらにゴロゴロと、誹謗中傷や邪魔者扱い、優生思想など、下らない低レベルの感情が転がっている。

極端すぎてかなりの理想論だが、全人類が他人の立場になって生きて、臭い言い方「想いやり」を持てば、大体の問題はなくなると思う。


…恥ずかしっ(//∇//)

いや、でも、かなり本気で思っている。



映画とその原作小説


少し前に、映画「忘れないと誓ったぼくがいた」を観た。

あらすじを読んで、どう終わらせるのかな?と思いながら観ていたが、結局「???????…??!?」だった。

巻き戻して観ても全っ然分からなくて、レビューを見たら、「泣けましたー」とか「あの終わりに主題歌の出だしは卑怯。泣いちゃうじゃないか」てな感想が書いてあって、「あれ、私がおかしいの…?え、え、、?」と不安になり、原作読んだらスッキリするかしら?と考えた。


そこまで思い入れがあった訳ではないから、古本で見つかったら、と半分忘れかけていたけれど、◯ックオフに行った時に思い出し、ちょうどあったので、買った。(何故かあんまり安くなってなかったから、悩んだ。中身は気になるし次はあるか分からない、けど定価と変わらない値段。悔しい。)


結論から言うと、小説の方が分かりやすく、笑いの要素も好みで、文章もとても好きだった。

映画、原作に沿うように作れば良かったのに、と思う。説明が無くても成立するファンタジーもあるが、この作品は、もっと解説する必要があったのでは。

小説でも、消えてしまいそうになっている(後に消える)“理由”は謎のままだけど、あずさ自身が自分で「こう解釈してる」と解説?していて、そこでファンタジーになっている気がした。小説自体も、“こんな事があったらしい”、“フィクションかもしれない”とゆう風な構成になっていて、納得できた。

小説も映画も、「詳しい」と言えるほど嗜んではいないから、あんま偉そうな事は言えないけど、どんな分野でも“作品”は好きだから、私なりに感じる・思う事があるので、吐き出してみたくなった。

主演の二人の雰囲気は爽やかで、演技も良かった。勿体ない気もするが、、、やっぱりそんなに思い入れがないので、まぁいいや。


じゃあこの投稿はなんだったのか🙄